当院について
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病院沿革 病院沿革
明治44年2月11日、明治天皇が時の内閣総理大臣桂太郎を召され、「医療を受けられないで困っている人たちが、よい医療を受け、再起の喜びをもてるような施設をつくるように」という趣旨の『済生勅語』と、その基金として御手元金150万円を下賜されました。
これを元に伏見宮貞愛親王を総裁とし、桂総理大臣が会長に就任し、5月30日、恩賜財団済生会が創立されました。
済生会 紋章の由来 済生会 紋章の由来
初代総裁・伏見宮貞愛親王の「撫子の歌」にちなみ、いつの世にもその趣旨を忘れないようにと、撫子の花に露をあしらったものが、大正元年(1912)から済生会の紋章となっています。
東京都済生会中央病院の沿革 東京都済生会中央病院の沿革
1911 | 5月30日、恩賜財団済生会の創立。 |
1915 | 12月、本部直営の基幹病院として「恩賜財団済生会芝病院」開設。 |
1923 | 9月、関東大震災にあたり、被害を受けた妊産婦と乳幼児の救護のため、芝病院の中にバラック式の応急診療施設を急設し、事業を開始。(昭和24年3月に「児童福祉施設 済生会乳児院」として認可される) |
1950 | 4月、済生会の改組により、東京都済生会に移管。産院を合併し「東京都済生会中央病院」に改称。同時に大正12年以来の乳児院を附属施設とする |
1951 | 医療法に基づく公的医療機関の指定の申請、8月に公的医療機関の指定を受ける。これにより民間社会事業団体としての出発となる。 |
1952 | 前年に社会福祉の基本となる社会福祉事業法が制定されたことに伴い、社会福祉法人となるべく、諸準備を整え、社会福祉法人の許可を受ける。同時に名称を社会福祉法人恩賜財団済生会と定め今日ある済生会の新たな出発となる。 |
1953 | 東京都立民生病院の受託経営開始。 |
1966 | 昭和41年に創立50周年記念事業として計画された増改築を開始。昭和45年に完成。 |
1970 | 近代的な病院として医療面の充実を図り、地域に貢献する高機能病院として体制を整える。乳児院も鉄骨2階建てになる。 |
1988 | 9月、港区立特別養護老人ホーム「白金の森」他1施設を受託経営開始。 |
1990 | 12月、ICU・CCU・手術室等を充実させた増改築完成。 |
1991 | 4月、港区立南麻布高齢者在宅サービスセンターの受託経営開始。 |
1995 | 4月、東京都済生会看護専門学校開校。 |
1996 | 港区立特別養護老人ホーム「港南の郷」他3施設を受託経営開始。 |
1997 | 2月、平成2年10月開設の訪問看護室が「済生会三田訪問看護ステーション」として生まれ変わる。 |
2002 | 4月、東京都立民生病院が廃止され、その機能を継承して中央病院の一部として運営を開始。 |
2005 | 旧民生病院(北棟)、食堂・喫茶室、会議室、診療録管理室、コンピューター室を備えた新棟オープン。 |
2008 | 旧民生病院跡地に新外来棟をオープン。また、検診センターを総合健診センターとしてリニューアルオープン。 |
2010 | リニアック棟を整備。 |
2012 | 9月、地域医療支援病院に承認。 12月、救命救急センターに指定。 |
2013 | 9月 秋篠宮殿下が病院と附属乳児院をご視察 |
2014 | 1月 電子カルテを導入。 |
2015 | 12月1日 病院創立100周年を迎える。 |
2017 | 5月 救命救急センター、手術室の大幅な機能強化と分娩再開、最新鋭の検査設備を備えた”主棟”がオープン。 5月 秋篠宮殿下が”主棟”をご視察。 |
2018 | 3月 東京都済生会看護専門学校閉校 |
2020 | 9月 新附属乳児院竣工 |
歴代院長 歴代院長
初代院長 | 北里 柴三郎 (大正4年~大正12年7月) |
2代院長 | 大谷 彬亮 (大正12年7月~昭和6年12月) |
3代院長 | 秋吉 辰三 (昭和6年12月~昭和10年10月) |
4代院長 | 高雄 徳龍 (昭和10年10月~昭和24年2月) |
5代院長 | 中山 安 (昭和24年2月~昭和25年12月) |
6代院長 | 小山 武夫 (昭和25年12月~昭和46年2月) |
7代院長 | 堀内 光 (昭和46年2月~昭和60年5月) |
8代院長 | 伊賀 六一 (昭和60年5月~平成9年3月) |
9代院長 | 末舛 惠一 (平成9年4月~平成18年8月) |
10代院長 | 高木 誠 (平成18年9月~令和2年3月 ) |
11代院長 | 海老原 全 (令和2年4月~ ) |